能登地震JMAT派遣出動②
2024/02/22能登地震医療支援のJMAT派遣出動の顛末です。
初日、金沢県庁でブリーフィングを受けて活動開始です。活動期間は3泊4日。
現在、JMATの活動エリアは3地域に分かれています。
珠洲、輪島などのいわゆる奥能登の北部エリア、和倉温泉のある七尾市を中心とした中部エリア、そして能登半島ではない金沢以南エリア。
珠洲市や金沢市の気の毒な
当初はやはり、被害の大きな北部エリアの支援に行きたいというはやる気持ちがありました。珠洲市や金沢市の気の毒な姿はニュ-ス映像で何度も確認しています。
しかし初日は金沢以南の担当の指示でした。
まず、中部・北部への道路のダメージがいまだ大きく、金沢市の県庁から中部まで車で3時間、北部は5時間とのこと。初日の半日の活動だと移動が無理との判断かと理解しました。
本部からの資料は、金沢以南の2次避難所のリスト。そこに連絡して避難者の健康確認を、との指示でした。
私のイメージは、学校の体育館のような1次避難所にいる皆さんを訪ね歩くものだったので、少し戸惑いました。東北大震災の時は、かなり長期に体育館や公民館の巨大避難所にいる方々を訪ねていたからです。被災の規模が東北よりもだいぶ小さかったのと、1次避難所に長期いる弊害(健康被害や災害関連死)対策が取られていると理解しました。過去の災害に学んだ結果でしょう。
2次避難所とは、ホテル避難のイメージです。
しかしここが強敵でした。
普通のホテルではなく、結構な数の民泊施設が利用されていたのです。
外国人観光客が増えた現代日本の観光地に生まれた新たなインフラ、民泊。それは一般の住宅や、アパートをインバウンド観光客に提供する宿泊施設です。
ホテルや民宿のイメージだと、そこにフロントや宿の人がいて連絡に応じてくれる。
民泊はWebで予約した宿泊者が、現地に行くとナンバーキーやスマホ対応で鍵を開けて入室。管理運営会社が昼間の清掃巡回だけしているイメージです。
本部から渡された2次避難所リストにはそうした民泊が30-40並んでいたのです。ホテルも数件混在していましたが。
朝の私たちの仕事は、その避難所の電話連絡先に電話をして避難者さんたちの健康状態を確認することから始まります。リストを5人で分担割り振りし、電話をかけていきます。
民泊の場合は管理会社の担当者の電話であるため、電話の相手は避難者さんたちと別の場所にいるため状況が分からず、とても非協力的な応対をするケースも多かったです。
ホテルの場合は朝のチェックアウトで繁忙の時間に電話をするわけですから、やはり迷惑がられます。非常に恐縮しながらの確認となりました。
そうした中で、前日からのデータや当日の情報収集作業で、健康不安がある方々への巡回診療を行いました。リスト上の情報が不確定な場合、宿泊者情報が不明とか、電話番号情報がない、1週間連絡が取れていないところには直接訪問しての確認を行いました。
実際に伺うと、私たちの担当は珠洲市からの避難者の方が多かったです。緊急の医療対応というより、一般の往診での健康確認のようなイメージでした。
しかし避難者さんへの対応ですので、心のケアを丁寧に行うように努めました。
傷ついた故郷への悲しみ、仮住まいでの戸惑い、将来への不安。重く深い言葉を聞き取りくみ取るように心がけました。
高齢者の方の場合、避難所での引きこもりが心配でした。お散歩をたくさんして足腰が衰えないように、声掛け励ましを行いました。ご夫婦の場合、奥さんがお元気でご主人の足が弱っているケースが多く感じました。これは被災地に限らない問題かもしれませんが、お散歩に励んでいただくようにおすすめしました。
金沢市にあるいしかわ総合スポーツセンターも巡回視察しました。能登地区からの1.5次避難所です。震災以前からの素晴らしい施設で、まさに被災地支援としての中心的役割を担っているようでした。
東日本大震災の時は、巨大避難所になった公民館体育館に、こうした箱もの行政が役立つ最大の機会だなどの罵詈雑言も聞きましたが、間違いなく立派な有効活用であり、石川県民の方たちは誇るべき施設だと思います。
担当の県職の方とお話しできて、また中を案内していただきましたが、運営もきめ細やかに行われていました。ただ、2次避難所への移動に民間組織としてJTBが協力していますが、その先の情報の管理が有効でない印象でした、
今回のJMAT活動への情報提供があれば、避難者さんの健康管理が容易になると感じました。JMATの我々が朝の避難者さん探しの電話する時間が減らせるわけです。
多分、縦割り行政という魔物と、個人情報保護というハードルがうごめいているのでしょう。
JMATの活動は医療ニーズが減ってきているのを承知の上で、一人でも震災関連死を減らすために行うわけですから、そこでの工夫をしていただければと思います。
3日目驚いたことに、被災地入りされていた日本医師会の松本会長に巡回の同行を依頼されました。
さすがに慌ただしい視察でしたが、避難所のお子さんに励ましの声掛けしていかれました。
大人の言い方をすれば、行政・医師会一丸での被災地支援の一助になれればと感じました。
金沢市の中心は大きな被害を免れているように見えました。
金沢城、兼六園、近江町市場。眺めただけでしたが、大きな被害はなさそうでした。
中国の春節の時期だったため、中国人団体さんバスツアーの姿もお見掛けしました。
東日本大震災のイメージがありましたが、金沢市内は311の後の仙台市内のような雰囲気でした。
実際には地震被害もあるはずです。液状化現象や斜面での被害もあったことでしょう。しかし金沢市としての根幹は守られた印象です。
今回、4日間の医療支援でしたが、やはり現場に行かなければ見えないものがたくさんありました。
個人としてはミクロの支援ですが、4日で感じたことをこうしたブログや医師会への報告を通して、周りの皆さんに伝えていきたいと思います。
能登地震被災地支援はたくさんの形で行うことが出来ます。
気候が良くなったら素晴らしい能登・和倉温泉・金沢・石川県・北陸を訪れてみませんか。
世界に誇る輪島塗、九谷焼。のどぐろ、鮨、金沢おでん、棒茶、棒寿司、金沢麩。何を食べてもおいしいよ。
少しずつ応援していきましょう。