神様が歩き出す時
2019/03/22子供のころ頃、神様がいると聞きました。
初めて神様の話を聞いたのは、通っていた東京杉並のカトリック系幼稚園。
シスターの姿の先生たちは、聞き分けの悪い幼児たちに「いいことをすると神様がほめてくれる、悪いことをすると神様に怒られる」という論理で道徳的指導をしていました。
今思うと、ドラマでしか見ないようなシスター服で幼児保育を行っていたことに驚きます。今でも先生方は皆修道女で、あの特殊な服装でお仕事をされているのでしょうか。とても気になります。
10代になると、ご多分にもれず、いろいろな思想にかぶれました。
哲学初心者に響いたのが、「神は死んだ」というニーチェの言葉を発端とした、当時流行していた神の死の神学論。そんな壮大なテーマを、キリスト教や19世紀の宗教的倫理観を知らない若者であった僕は、「神は死んだ。人間への絶望のために」と理解して自己の思考の根幹を築いていきます。
20代になり、バックパックを担いで世界を放浪していた頃。
見知らぬ街で必ず訪れていたのが大聖堂や大寺院。そこで僕は神様を捜し続けました。そうした聖地には、今は神様がいなくても以前に神がいたはずだ。そこを探し続ければ、そのうち神様に会えるにちがいないと。そして、信仰とは許しと慈しみなのだと気づいたのです。あれからはるかに時は流れ、僕は世界には間違いなく神様がいることがわかってきました。
昨日、3月21日に一人の神様が仕事を終えました。
その神様の名前は、イチロー・鈴木。
あーそういうことか、とお思いの人はいるでしょう。
そういうことです。
この世界にはまだ何人も神様がいます。
ポール・マッカートニー。ウサイン・ボルト。ビル・ゲイツ。ダライ・ラマ。クリスチアノ・ロナウド。そしてイチロー。
神様の中には悪神もいるでしょう。善悪は立ち位置で変わります。
しかし絶対の評価と人々の共感、世の中への影響力が神を作ります。
みんなイチローが好きだった。大好きでなくても評価した。理屈っぽい奴だが認めていた。その動向が気になった。ストイックな姿勢に憧れた。全力で応援した。成功と記録を自分の事のように誇らしく思った。そしてもっともっと活躍してほしかった。いつまでも。
そんな神様が昨日、静かに仕事を終えて、僕らは神の仕事を見の前で見ることが出来なくなります。あまたの大聖堂が、昔神様のいた場所であるように。
僕らはこれからも夢中になって神様の話をするでしょう。
94年の210本安打を。
95年の震災後の神戸の優勝を。
2001年のメジャーデビューイヤーのMVPを。
2004年の262本安打を。
2007年のメジャーオールスター戦のランニングホームランを。
そして3000本、4367本を。10年連続ダイヤモンドグラブを。
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レーザービームを。
エリア51を。
WBCでの決勝タイムリーを。
そして、バッターボックスでのあのポーズを
女子の皆さんには少し温度間の違う話かもしれません。
なぜ、羽生結弦ではなくてイチローなのかと。
ご主人が、そして彼が、しばらく「イチロス」になった時、男ってそんなものなのねーって温かい目で見てあげて下さい。
イチロー、野球の神様。
僕たちはあなたの姿を忘れない。