深夜鈍行 - 幻想のアジア・2
2014/01/16時は25年前にさかのぼります。僕はタイからオーストラリアまでの旅に出ました。
今写真を見ると、自分でもびっくりします。いかだ下り編、お読みください。
大学時代の最後の春休みに、僕は「海のシルクロードツアー」と名付けた、アジアの海沿いの旅に出ました。スタートはタイ、マレー半島を下り、シンガポールからインドネシアに入り、島々を東へと移動してオーストラリアへたどり着くコースです。期間は40日、費用はアルバイトで貯めた25万円。由緒正しい貧乏旅行です。
旅の最初に着いたタイの首都バンコクのカオサンロードでディープな時間を過ごした後、僕はタイ北部の中心地チェンマイへと足を延ばしました。古都チェンマイを徘徊中に、ナイトバザールという観光市場で僕は2人の日本人に声をかけられました。僕に声をかけるほどの物好きな2人は、京大アメフト部の巨漢・恭平と、関西大学の泉。これが運命のお誘いでした。タイとミャンマーとの国境の街タートンからチェンライという町まで流れるコク川で、2泊3日で船頭付きのいかだで川下りをするツアーがあるので一緒に行かないか、というもの。途中でトレッキングをしたり、象に乗ったり、麻薬を吸ったり、山岳民族の村に泊まったりする冒険ツアーです。カオサンで他のバックパッカーたちの武勇伝をさんざん聞いてきた僕に断る理由はありません。逆に悪乗りして、「わかった、一緒に行こう。ただ、ツアーに参加するのでなく、ガイドなし、いかだも手作りで、僕らだけでいこう」と無茶な提案を持ち出しました。最初はびっくりしていた二人でしたが、高額なツアー料金が無料になるという誘惑に負けたのか、まんまと僕に丸め込まれ出発することになりました。
夜行バスでタートンにたどり着いた僕らは、川岸に山と積まれていた竹を見つけ大喜び。さっそく所有者の宿の主人をさがして買取り交渉に入りました。結果は・・当然NG。「この辺じゃいかだ用の竹は取りつくして、ミャンマーから買い付けているんだよ。それに警察の許可がいる。」「じゃあポリスを呼ぼうよ。…おまわりさん、僕らは冒険とタイの自然を心から愛しています。竹を買ってもいいでしょ?」「駄目だ。去年も自作いかだで川下りをしたグループがいたが、途中で転覆して1人死んだ」「え?…(ここまで来て引けないし)僕らはジャパン・ナショナル・ラフティング・チームだ。全く問題ない」「…じゃあ、ガイドを2人つけるなら特別に許可する」「え?(とりあえず許可だけもらえばなんとかなるな)それでいくら?」「いかだが竹150本、屋根が竹50本、全部で3000バーツ。ガイドが2人で1500バーツ。」当時1バーツ6円、4500バーツで27000円。
今なら全く問題なし、という値段ですが、貧乏旅行者チームはここですごすご撤退です。弱すぎる僕たち!しかしそこはただでは起きない若者達、渡し船に乗り次の村へと向かいます。
たどりついた隣村では昼の農村で人影はなく、それでも何軒目かの農家でおばさんを見つけました。そして身振り手振りで竹を切らせてもらうことになりました。そこからがさあ大変。竹を切るのは「のこぎり」ではだめで「なた」がいいとか、枝を落としても生竹は超重いとか、担ぐと肩がかぶれるとか、都会っ子にはびっくりすることばかり。当初50本の予定だったのが、20本でギブアップでした。
しかし、世の中捨てたものではなく、まず、帰ってきた農家のおじさんが軒先に転がっていた乾いた竹10本をくれると(たぶん)言ってくれ、おまけにうちに泊めてくれると(たぶん)言ってくれました。実は片言の中国語が喋れる泉が、実は台湾からお嫁に来たおばさんと仲良くなり、そこからは一気に打ち解けました。「晩御飯を作っておくから体を洗っておいで」と言われ、男2人は川で沐浴です。
時は夕暮れ、巨大な夕日が西の山に傾き、ひなびた村に夕げの煙が昇りはじめます。家々から子供が手拭いを手にばらばらと出てきて、一緒に川へ向かいます。100年前は僕らもこんなアジアな生活をしていたのかな。
川で子供たちとちょっとはしゃいだ後、うちに帰ると待っていたのはご馳走でした。子供のいないおじちゃん夫婦がおかわりを何度も勧めてくれて、巨大ビンに入った怪しげな薬草酒でふるまってくれてわいわい飲んでいると、村の人々も入れ代わり立ち代わりやってきます。変な外人の僕らは歌ったり踊ったり大活躍で、皆が帰って寝る頃には「こりゃあ、明日には村長さんが名誉村民表彰にやって来るはずだ」なんて調子です。
翌朝どかんと朝食を振る舞われた後、僕らはいかだの作成にかかりました。昨夜の村の人たちもこぞって覗きに来ます。そのうち一人の老人がやって来て「それじゃだめじゃ、わしにかしてみろ」と言うと、竹の皮みたいなものでみるみるすべての竹を横木に括り付け、一段高い荷物置き場を作り、浮き替わりのポリタンクまで取り付けてくれました。まさにGod Hand!
そしていよいよおばちゃんをハグ、おじちゃんに固い握手とともにそっとお礼を握らせ、涙の出航です。
それからの3日間はまさに大冒険でした。今、写真を見ると、こんないかだで・・・ありえませんね。
ある時は濁流で岩に激突してオールをへし折り(本気で死ぬと思いました)、ある時はマシンガンを持った男に対岸から威嚇射撃され(実はここは麻薬のゴールデントライアングルの真っただ中でした!)ました。夕方は集落を見つけて、身振り手振りの交渉で泊めてもらいます。夜に村の若者が勧めてくれるのは、煙草のようで多分違うもの。これは丁寧にお断りします。ある時は水牛と一緒に、ある時は浅瀬にはまり、ある時は子供の小舟と競争しながら川を下りました。
3日後、何とかチェンライにたどり着きホテルで祝杯を挙げた時、僕らは他愛のない夢を共有できる友がいる喜びをかみしめました。名も知らぬ村で汗だくで竹を切り、いかだを作っていた至福の時。夢はかなう前の瞬間が一番輝くことを知りました。
この後、二人と別れた僕は、いよいよ南太平洋の島でヨットのヒッチハイクに挑みます。