2011年東北支援活動報告
2012/1昨年の東北大震災は多くの日本人にとって衝撃を与えました。3.11という数字は、多くの人にとって忌わしい残酷なものでありますが、また絆を繋ぐ再生のシンボルになるかもしれません。
僕は、5月から宮城県石巻を中心に震災ボランティアと復興支援に携わってきました。その経過と、そこから生まれた新しい企画をお伝えしたいと思います。
3月の震災の後、僕のクリニックは計画停電を週に何回もくらい、診療に支障をきたし、ある意味「被災者」でした。その中で被災地にボランティアに行く計画を立てました。アクセスした医師会や行政では協力を得られずに、4月30日に政治学者の友人と共に仙台に向かいました。5日間を仙台、石巻、南三陸で過ごし、石巻のボランティアセンターと河北保健課の協力で、避難所巡回診療、往診を行いました。また、大川小学校で亡くなった児童の御家族の悲しみを目の当たりにしました。
そこから、継続支援を目標に被災地との関わりを模索してきました。
医療者である私にとって、まず考えついたものは「顔の見える支援」として、被災地の看護学校進学希望者に奨学金を支給するプロジェクトです。志のある高校生に、医療の仕事とそこから広がるチャンスを提供したいと思ったのです。日本育英会をはじめとする既存の奨学金システムは大体返却義務があり、教育ローン的側面があります。そこで年間30万円程度の就学には丸抱えではない金額を、返却不要・生活報告のレポート提出程度のルーチーンで支給することを計画しました。現実的に幾つかの併用可能な既存の奨学金システムも有り、アルバイト等の個人の工夫も可能だからです。
私費を投じた奨学金として、支給に問題はないと思っていました。しかし、現実には大きな壁に突き当たりました。支給対象者が決まらなかったのです。
根源的には、誰に奨学金を渡すのかの選択が難しかったのです。今回の奨学金の対象者として、3人から5人程度の規模を考えていました。私は今年の夏に横浜市医師会報に、「顔の見える支援」として奨学支援の計画について投稿しました。支援活動を始めるに当たり、責任が係る問題なので、寄付金を募るような事はせず、自分の可能な範囲で始めようと思っていました。正直、お金の管理は苦手ですし、人様のお金を預かる事で生じる会計処理の仕事や、トラブルのリスクを負いたくなかったのです。
もし、奨学支援活動が軌道に乗ったら、来年以降は展開があるかなとも考えていました。そのためにもまず、今年は支援の実績を作りたかった。しかし、世の中はなかなか思惑通りにいきません。
少人数を対象とした支援なので、あまり大袈裟に募集をする訳にもいかず、候補の生徒の選択を地元の学校関係者、学校医をされているはずの地元の医師会の先生にお願いしました。結果、断られてしまいました。理由は、こちらの身元がNPO等の正式な団体でない事、対象者の選択が難しいとの事でした。
王道と思うルート以外に協力の手を求めると、結構うさん臭い人達が支援の現場を闊歩しているのも、今の復興支援の現実です。正直、かなり怪しい人や悪いニュースに登場した人にも出会いました
NPOを立ち上げなかったのは、恥ずかしいお話ですが、正直、煩わし作業を疎んじたためです。定款をつくり、役所に提出して、基準にのっとった会計作業を行うのがとても煩雑な作業の様に思えて、これを個人で行う自信がありませんでした。現在、医師会での2012年の法人化に向けての作業を見ていると、今なおそう思います。
支援対象人数も、自分が出来る以上の事を約束してもしょうがないし、まあ、人間の思いを相手にうまく伝えるのは難しい、という事を勉強させてもらいました。
その後、支援の相棒である、琉球大学法文学部准教授の宗前清貞先生からアドバイスがありました。彼は東北大学・大学院卒の経歴から宮城県に人脈・地の利があり、漁業を営む彼の奥さんの実家は七ヶ浜町で津波に被災しています。
彼のアドバイスは、支援の考え方を変えて、もっと若い、例えば中学生の世代に夢を持たせることは出来ないだろうかというものでした。具体的には、中学生に将来の職業イメージを持たせることで、今後の進路決定(まずは高校受験など)での学習意欲向上を図るというアイディアです。
いま問題なのは学資の問題よりも、大人になって何をするかというビジョンの欠如があります。だからむしろ中学生という若い世代に職業意識を持たせるのです。希望の職種、夢として描ける職種があれば、そこにたどり着くための手段・道筋として、毎日勉強をして例えば上級学校へ進学する努力に対してのモチベーションが持てるのです。勉強する動機があれば、多少の困難は乗り越えられます。
もともと過疎傾向の地方都市では、進路のイメージが描きにくい。職業的な部分で希望や夢を持ちにくい。例えば資格を取るという作業にしても、どこにどういう形でアクセスすればいいのか、現実的にどれ位お金がかかるのか、本人も親も良くわからない。
ましてや被災地の子供たちは、生活に苦労する親や大人達を見て、夢や希望を減らしてしまっている。
その子供達に、まず世の中の職業を具体的に実感させ、ざっくりと進路の目標を持たせる事により就職以前の就学意識を持ってもらう。夢がある事で勉強する意欲が湧くのです。
今回の企画には、もう一人強力な味方が参加しています。仙台で中学生対象の塾を運営する木村奈保子さん。彼女は、被災地支援ボランティアとして、女川町で中学生への無料学習支援塾を行っています。
彼女からのアイディアもあり、新しい被災地学生支援の企画のアウトラインが固まりました。女川町の中学生を対象にした、職業体験サマーキャンプです。女川町にしたのは、木村さんの人脈を当てにするところが大きいのですが、被災規模が大きい割には石巻などより取り上げられていなく、町の規模的に支援対象者の人数が膨れ過ぎないという判断からです。
具体的には、女川町で中学3年生を募り、職業体験ツアーとして東京や横浜に招待して、職業の一例として病院や企業を見学するという企画です。たとえば医療では医師・看護師以外に、レントゲン技師や検査技師、理学療法士、医療事務など多様な職種があり、それぞれ重要な貢献をしていることも具体的に教えられます。そうした人たちが、どうやってその資格を得たのか、直接尋ねることも可能です。
そうしたことをいろいろな業種・企業などで行えば、すべての職業はいろいろな職種の人々のチーム作業である事を知ります。そして最後に子供たちが自分に合った職業選択をイメージしやすくする事が目標です。それはすなわち、子供たちの将来の夢への大きな支援になると思います。
そうした子供達が数年後に実際に看護学校への進学を希望した場合、当初の企画である奨学システムが起動出来るわけで、私にとっては二重の夢を繋ぐプランなのです。
現在の交渉中の企業は、大手外食産業、新聞社、放送局、建設業、運輸業です。
移動は貸切バスで行い、宿泊は国立オリンピック記念青少年総合センターを手配。
当然アクシデントへの対応は十分に備える必要があり、修学旅行レベルの保険に加入します。
現実・成功への3つの要素、すなわち、企画の充実と準備、現地スタッフによるアナウンスとメンバー選出、ツアー当日の仕切り。それぞれにマンパワーが必要です。
そこで皆さんにお伝えしたい事があります。今回のこの「震災復興こども支援」に御参加、御協力お願い出来ないでしょうか。
例えば、企画マンとして、職業体験を提供する見学医療機関として、当日のボランティアスタッフとして。
そして、この活動への暖かいサポーターとして。 是非、御協力、ご連絡をお待ちしています。
今年の夏休み。女川の中学生に夢をつなぐサマーキャンプをとどけられれば、私達の夢も広がっていくと思っています。