真夏の夜の夢・1
2010/7熱いひと月が終わり、祭りの後の虚脱感に包まれた日々を過ごしています。
熱い原因は2つありました。
まず 、皆さんと一緒に燃えた、ワールドカップサッカーの話です。
サッカーワールドカップ、よかったですねえ。
6月11日の開幕に先立ち、なごや耳鼻科は6月7日から臨戦態勢になりました。院長以下すべてのスタッフは、代表ジャージかサムライブルーのTシャツで診療を行ったのです。
毎年のハロウィンやクリスマスで、ちょっとコスプレ気味ななごや耳鼻科です。私のJの魂が盛り上がらないわけがありません。ちなみに私は、Jリーグ発足当初からの(フリューゲルス経由の)横浜Fマリノスの由緒正しきサポーターで、日本代表といえば、ドーハの悲劇の時に一緒に観戦していた彼女と悲しみのあまりに分かれてしまった程の深いつながりがあります(なんのこっちゃ)。
さて、みんなが期待していなかった今回の大会、開幕の週の月曜日からとはいえ、日本の初戦の一週間前から診察スペースを青一色に染めたクリニックを訪れた患者さん達の目には、ちょっと怯えがありました。学生さんや若いお母さん達は「へえ、この先生そういう人なんだ」的な納得があったように(よく解釈すると)思いますが、分別のある大人の患者さんや、年配の患者さんには実際どう思われていたか少し怖いものがあります。
まあ、診療に対する自信があって、いまさら優等生の振る舞いは出来なくなってしまった自分がいて、こうしたスタイルのクリニックですがお願いしますね、と患者さんに納得していただくしかないと半分申しわけないながら思っています。
さて、患者さん達が少し乗ってきてくれたのは、あのデンマーク戦の前あたりからでしょうか。
カメルーン戦で大きな勝利をつかみ、オランダ戦で敗れはしたものの最小失点できりぬけ、代表チームが日本中の期待を背負い、そして大きな夢を私達に与えてくれました。
そして運命の6月24日。
日付が変わった午前3時からの至福の2時間。デンマークにかなりボールを回されましたが、なんと言っても前半をあの素晴らしいフリーキックの2点で圧倒的に安心して過ごせた喜び。終わってみれば3-1と、どこに出しても恥ずかしくない立派なスコア。本田、遠藤、松井、大久保、不動のツインタワー中澤と闘莉王、そして川島。他のメンバーも含め、僕らがどれほど彼らを誇りに思ったことでしょう。
25日の金曜日、患者さん達は皆笑顔で「先生、おめでとう」と言ってくれました。おこがましいのは承知で「ありがとうございます!」と笑顔でお返事です。ワールドカップはオリンピック以上に愛国心を育んでくれますね。オリンピックではスーパーアスリートには国籍関係なく応援しますが、ワールドカップでは代表チーム以上に感情移入出来るものはありませんからね。
そうそう、忘れてならないのが、ブラジルとマラドーナ・メッシのアルゼンチンでした。ジュビロの鬼軍曹だったドゥンガと、永遠のアイドル・マラドーナ。
国立横浜病院の耳鼻科医長時代、ワールドカップの時に外来の廊下に大きなブラジル国旗を張り続けた僕に、半分あきれながら皆さんは暖かく声をかけてくれました(あの頃からちょっと変な先生だったんですね)。
そして、世界で一番愛すべき50歳は、間違いなくマラドーナでしょう。
いよいよ決勝トーナメント4日目、6月29日。
試合の結果はご承知のとおりです。120分を戦い抜いた日本代表を待っていた、残酷な結果。
たらればの話はジャーナリズムに任せて、僕の涙が止まらなかったのは、駒野の肩を抱いて無言で泣き続けた松井の姿でした。
男の友情、完全燃焼、世界の舞台での希望と挫折。いろいろな言葉があるでしょう。
40代も半ばになると素直に感動することが難しくなりますが、スポーツには魂を揺さぶる魔術があります。
夢中で夢を追いかけることが出来る人は幸せな人でしょう。僕にも、皆さんにもそんな時代があった。100点満点ではないけれど、納得して夢をかなえてきた人生。そしてその時に苦しみも喜びも共にした友達。
苦しんだ友達の肩を抱いて無言で泣き続けたこと、あっただろうか。これからあるのだろうか。
夢を追いかける幸せと、友達とただ泣ける幸せ。
いろいろ考えさせられますね。
僕の場合これから出来るのは、嫁を追いかける幸せくらいかな。
試合後のキャプテン長谷川のコメントも素晴らしかった。彼は世界に誇れる日本人ですね。
大会中のオシムのコメントも味わい深かった。やはり一流の人の話は面白い。
さて、暑い夏となったもうひとつの大イベントは、次回お伝えします。