私をスキーに連れてって
2010/1この正月1日から3日まで、私は家族とともに志賀高原で過ごしました。
今年の志賀は、猛吹雪の正月でした。
到着した一日は、チェックインが15時頃だったため、スキーはしませんでしたが、滑った2日間は、ゴーグル・ニット帽・ウェアのフードをずっとかぶったままでした。ここ何年も、スキーする時はサングラスとヘアーバンドの、なめた格好で滑っていましたから、別のスパルタンなスポーツをしているようでした。
帰る日、50cm以上は降り積もった雪の塊の中から、文字通りスコップを使って車を掘り出すというのも、初めての経験でした。
スキーブームだった頃の学生時代を振り返ると、苗場、蔵王など競っていろいろなゲレンデを目指していました。それが数年前から、年2回程度ですが、スキーといえば志賀になっています。
きっかけは、友人が志賀高原を強く勧めてくれたことです。
人それぞれにある、青春の思い出。
志賀高原プリンス東館のメインダイニングの大きな窓からゲレンデを眺めながら、彼女とコースディナーを楽しむ・・・バブル時代の正統派の、黄金の記憶。
その思い出に便乗することで、私の志賀礼賛は始まったのですが、まったくバブル世代のつわものどもの夢の跡には、いつも驚嘆させられます。
私 の中のイメージでは、滋賀はスキー場はいいんだけど遠くてね・・・でしたが、数家族で訪れた志賀高原は、高速道路などアクセスがよく、行きやすいものでし た。やはり時代のあだ花とでも言うべき、長野五輪のおかげなのでしょう。そして、期待を裏切らない素晴らしいゲレンデ。何しろバリエーションには事欠きま せんし、豊富なレイアウトと、チャレンジングなバーン、パウダーな雪質も最高です。
志賀のゲレンデは、自分がとても上手になった気にも、まだまだ練習しなければならないという気にも、俺ももう年なんだという気にも、俺って無茶無茶いけてる!という気にもさせてくれます。
もう一つ、リピーターとなった理由は、チャレンジカードです。
御 承知のように、志賀高原は、上は奥滋賀から焼額山・一の瀬・高天ヶ原・寺子屋・東西舘山・ブナ平・ジャイアント・丸池蓮池サンバレーまで、そして熊の湯・ 横手山・渋峠と、素晴らしいゲレンデが連続しています。そのすべてのゲレンデを走破、すべてのリフトを搭乗する企画が志賀高原チャレンジです。
学生時代、「志賀全山走破」なんて言葉を誰かが言い出して、訪れた志賀高原。あの時は結局、奥志賀にたどり着けなかったなあ。
数年前に志賀高原チャレンジを知り、挑戦してきました。
達成すると与えられる、オリジナルTシャツ。その勇者の証のために、徹夜で上信越道を走り、昼食もとらずに滑りまくり、日帰りで帰り翌朝から診療。言葉ではかっこいいけれど、やはり、ただのおじさんにはこたえます。
しかし、友人に「ばかだね~」と言われても、またそう言われることで噛みしめられる幸せがあるのです。ああ、今気づくMの血。
若い頃、世の中には挑戦するものがたくさんありました。
入学試験、髪の長い美少女、ピンボールのハイスコア、ヨットのレース、ショパンのバラードの2番、フルマラソン完走、国家試験。
一年をかけた世界一周なんていう、むちゃくちゃな挑戦もありました。
自分にとって最後に挑戦したのはいつだったんだろう。小さな挑戦の勝利を積み重ねて、なんとなく今の自分の立ち位置を決めてしまっている、ちょっとさびしいけれど納得もする現実。
501での9ダーツとか、英検1級合格とか、映画製作とか、非常に高い目標は、歳をとるごとになかなか挑戦出来ないというか、現実的に目標設定しずらい自分がいます。
そんな日常の、ちょっと外側にある、ちょっとだけ大変な、挑戦する目標。
ここ数年、そうしたものを見つけて達成するのをひそかな楽しみにしています。
富士登山、英検2級、バタフライのタイム、そして志賀高原チャレンジ。
今年が最後というこの企画の、カードに残り17個のスタンプを求めて、今週末も暁の上信越道をひた走ることでしょう。