暗黒の太陽
2009/12今年の夏、僕はクリニックを休診し、上海へ向かいました。
患者さんに迷惑をかけてまで中国に行ったのは、あの皆既日食を体験するためでした。
その顛末は、横浜市耳鼻咽喉科医会の会報に、手記として掲載しました。
ブログというものにまだ不慣れで、こうした文章が適切かどうかわからないのですが、患者さん方への報告も兼ねて、その手記を転載してみようと思います。
まあ、暇つぶしの文章としてお読みいただければ幸いです。
2009年7月22日の夜明けを、僕は上海外灘のHotel Westinで迎えた。
20世紀初頭に上海租界として栄華を誇った外灘のど真ん中にある、5つ星ホテル。
スイートルームの巨大なベッドでのまどろみは、自分が今、中国にいることも、スーパーアジアの象徴的な大都会の摩天楼にいることも忘れさせてしまう。
昨夜の酒で気だるい体に、冷えたエビアンが心地よい。
上海の真夏の喧騒が始まろうとしていた。
半年前のことである。
今年の夏に、すごい皆既日食が奄美大島付近で見れるらしいという情報に、僕は飛びついた。何の気なしに覗いていたパソコンの画面に、トカラ皆既日食ツアーという文字が躍っていたのだ。
21世紀で継続時間最長の皆既日食。最長6分38秒の暗黒の太陽。
今回の皆既日食のキャッチフレーズはシンプルではあったが、天文マニアとは程遠い僕にも訴える何かがあった。
宇宙の神秘、環境問題、手が届く距離で行われる壮大なロマン、精神世界の入り口。
そういった諸々のイメージを上手に包括し、日食という、普段まったく縁のない世界へ僕を導いていった。
悪石島を含む、鹿児島の南の小さな島々で6分20秒もの皆既日食が観測できるという。この小さな島々にはたいした宿泊施設もなく、鹿児島か沖縄からフェリーで上陸し、小学校の校庭にテントを張り宿泊施設とし、仮設トイレと簡易シャワーでの生活で日食の出現を待つという。
そのあまりにスパルタンな、力任せの観測ツアーは、ワイドショーなどでもかなり取り上げられたのでご承知な方も多いことだろう。
学生時代にサハラ砂漠横断や、アマゾン川下りなど単独探検隊活動をしていた僕は、狂喜乱舞した。そんなサバイバル旅行こそ自分のための企画だと信じ、唯一の窓口という近畿日本ツーリストにすぐに問い合わせた。しかし世の中酔狂な人が多いもので、すでに行われた一次・二次募集はすでに完売していた。残された最大のチャンス、第三次(最終)募集は、3月5日の11時から受付開始という。
当日、午前診療が終わり、昼過ぎにのんきに電話した僕は脱力する。なんと完売で受付終了という返事。近畿日本ツーリストには連日確認の電話をするが、なかな かキャンセルが出ないとのことで、いい返事がない。最後にはツアードクターとしての協力も提案してみたが、体よく断られる始末だった。この脅迫じみた連日の電話攻勢に敵もうんざりしたのか、素晴らしい穴場情報を教えてくれたのだ。すなわち「上海でも5分を超える皆既日食が見られるので、ツアーをやるよ。受 付は3月15日。がんばって電話してね、幸運を祈る!」というのである。
決戦の日、朝から気が気でない僕は待合の患者さんの数を気にしながらいそいそと診療するわけだが、やはり11時直前に話の長いおばあちゃんにつかまってしま う。泣きそうになりながら11時10分過ぎに電話をした。結果は・・やはり定員オーバーだった。キャンセル待ちの6番目。涙目で診療する僕を、患者さん達 は不思議に思ったことだろう。しかし、その3週間後、運命の電話が鳴った。ついにキャンセルが出たのだ。
トカラ野宿ツアー35万円に対し、上海は、一流ホテル宿泊で17万円という条件の良さにもびっくりしたが、その中で僕はある決断を迫られた。すなわち、観察 場所が、地上7階にあるレストランのオープンエアーのテラス席か、超高層ビルの86階のレストランの窓からか、二者択一の選択だった。
大地にひっくり返って、不機嫌なお天道様の姿をながめてやる、という僕の中のイメージに近いのはテラス席である。しかし僕は、なんとなく86階のレストランという、いかにもお医者さんの海外旅行的な物を選んだ。これが当日、大きな意味を持つことになった。
7月22日、僕は上海で2回目の朝を迎えた。
前日、快晴で真夏の上海をあてどもなくうろついた僕は、運命の日の朝の天気に愕然とした。
うす曇りの上海の西側の空に、分厚い雲が迫っていたのだ。
朝 7時、迎えのバスがホテルに到着した。長江の対岸にある、超高層ビル群のあるエリアには、長い地下トンネルを通っていかなければならない。渋滞で有名なこ のトンネルを越える、直線距離で高々1km程の道のりを、僕らのバスはたっぷり40分かけて移動した。はやる気持ちで、パークハイアットのエレベーターに 乗り込み、86階のレストランの観察会場へと向かった。
時間は午前8時、暗黒の太陽まであと3時間。
会場は巨大な個室で、太陽が見える東側の壁一面を覆う窓は、長さが20m、高さが優に3mはあるだろう。その部屋に大きな丸テーブルが3つ。
観測者は、日本人ばかり20人程。なんとも贅沢な空間が用意されていた。
怪しい天気の中、デジカメ、ハンディムービーを窓際にセッティングする。お天道様は、雲の隙間から顔を出したり隠れたりしていた。おいおい、本当に天気は大丈夫なのか?
お天道様と喧嘩してもしょうがないから、上海の王様となり街を見下ろす。目の前に広がる世界有数の新興都市の街並みは、ぎこちなく、どこまでも整然と広がっている。
僕は、何かうそ臭い違和感のようなものを感じた。そこには古い街にありがちな、入り組んだ路地がないのだ。大きさやデザイン・規格が統一されたマンガの様な街並み。
こ こで数千万の人々が右肩上がりの夢を信じ、地面にへばりついて小さな幸せを生きている・・・かつての私たちの国のように。そしてその中心に奇跡のように現 れた摩天楼の上で、僕はこの大都会を眺めている。どす黒い人間の欲望が天に向かってそそり立つ。それを希望と呼び、未来と信じてひた走る現代文明。
その象徴的な場所で、人間たちが多大なるエネルギーを注いで作り上げた街並みを、その中で営まれているだろう日々の暮らしを見下ろしながら、僕の心は乾いていた。
人類とは何のために生まれてきたのか。僕はその中で何が出来るのか。
大いなるものは、すべてをはるかに凌ぐスケールで、何の間違いもなく、この小さき者たちを気にもかけずに動いている。
9時過ぎ、いよいよ第一接触が始まる。
第一接触とは太陽が欠け始める時を、第二接触とはいよいよ太陽が暗黒になる瞬間を、第三接触とはダイヤモンドリングが出現し太陽に光が再び現れる瞬間を、第四接触とは太陽が完全に円形を取り戻す瞬間を指す。
広すぎる部屋に集まった人々はなんとなく言葉が少なくなっていた。
物見遊山な気持ちの中に、少しずつ別な感覚が現れていた。
敬虔な気持ち?畏れ?疎外感?
ぼんやりと、そして着実に時間は過ぎ、第二接触はもう目の前に迫っていた。
見上げた空には、分厚い雲に阻まれて、太陽の姿はまったく見えない。カメラを覗いても、太陽の位置すらもわからない。
皆既日食までもう1分を切る。僕はその姿をカメラに収めることはあきらめて窓の外の世界を眺める。時々窓ガラスに水滴がぶつかる。
雨か?しかし摩天楼の窓辺からは眼下の街並みを見下ろしても雨の程度すらわからない。
世の中はあまり暗くならない。こんなものなのか?
突然暗黒がやってきた。
深夜の静寂。鳥たちが恐怖に慄いて飛び惑うというが、地上400mの窓辺からはわからない。はるか足元を行きかう車のヘッドライトが、この街が死んでしまったわけではないと知らせている。
地平線方向に広がるオレンジ色の大地が、急速に遠のいていく。
暗闇の中で立ちすくんでいた僕たちに、建物の西側の部屋も利用できると伝えられた。
同じような無人の大きな部屋の窓からは、長江をまたぐ対岸にある上海の繁華街が一望できる。
暗黒に包まれた街が果てしなく広がる。上海の電気事情のせいなのか、街灯があまりともらない。弱々しい光が街を照らすさまは、大自然に立ち向かう人間の無力さそのもののようだった。
僕が感じたのは、心細さと暗黒に対する恐怖だった。そして記憶のフラッシュバック。
頑丈なコンクリートの要塞の中で、高価な調度品やたくさんの人々に囲まれたはずの場所で、僕は迷子になった子供のように、大海のど真ん中で海に浮かぶ遭難者のように不安だった。
ほんの5分ほどの時間のはずだった。永遠の5分間。
僕は暗黒の街を見下ろしながら心の中で叫んでいた。
がんばれ!がんばれ!
何を頑張るのか、誰が頑張るのか。
それは僕自身であり、人間が作り上げたこの弱々しい大都会だ。
僕は神に祈った。光を、光を!
やがて光が戻ってきた。街が色を取り戻し、呼吸を取り戻し、命を取り戻したのだ。
不覚にも僕は少しだけ涙を流した。そして僕は母を思った。母さん・・
僕らはみな生かされている。それは自分の意思や努力ではない。
母親に、今まで会ったすべての人々に、母なる大自然に呼びかけたかった。
僕はここにいます、今ここにいます。
夢から覚めたように、街は完全に力強さを取り戻していた。
僕も新しい命を与えられたのだろうか。
何も変わっていないおのれの姿を見ながら、自分が生まれ変わったことを願っていた。
翌日の早朝、ホテルをチェックアウトし、日本への帰路の道すがら僕はずっと考えていた。
長い間、探し続けていたものは見つかったのだろうか。
僕は結論を出せずにいた。しかし、それを見つけるヒントは確実に上海の天空にあった。
今までどれだけのヒントにめぐり合っただろう。
そろそろ答えに気がつくころなのか。もう十分に歳はとったはずだ。
僕はこれからも答えを探し続けるだろう。
このすばらしい人生という旅の中で。