ナゴブロ【幸せの原資 】

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ナゴブロ 院長ブログ

[掲載日:2015/12/02]

ぶたのまるやき

ブログをだいぶさぼっていました。
4年目になった女川中学生キャンプのこと、ラグビーのこと、パリのテロのこと、たくさん伝えたいことはありました。また、まめにお伝えしていきます。
サクラセブンズの活躍で、ますます近づいてきたリオデジャネイロ・オリンピック。
サッカーワールドカップの時も心がうずいたのは、僕は卒業旅行でブラジルに行ったからです。衝撃と歓喜のブラジル。
その時の話が少し入った昔書いた文章が出てきました。
長文なので、閲覧注意です。お時間があるときにお読みください。

子供の頃、鉄棒が得意だった。
逆上がり、連続逆上がり、足掛け周り、足掛け前周り。鉄棒の上に立ってそこからの空中飛び、手をクロスさせて途中で体を反転させる後ろ着地飛び。鉄棒が遊びの項目の1つなんて、なんとも昭和が薫り立つ。
逆立ち、けん玉世界一周、手乗りコマの綱渡り、自転車の両手はなし運転・サドル立ち乗り等、たわいもないチャレンジが僕達にとっては重要な認定試験だった。
「お前これ出来るか?」と近所の兄ちゃん達の与えてくる山ほどの課題。出来ないと悔しいから夢中で練習し、やがては皆が出来るようになる。誰が一番最初に出来るかが重要だった。それこそが、ガキ大将を頂点としたヒエラルキーの中で、周りに自分を認めさせる手段だった。
小学校に入ると、子供たちだけで遊ぶ世界がぐんと広がる。自転車という機動力とともに、母親の目が届かない「僕たちの世界の果て」を薄暗くなるまで探す、そんな毎日だった。微笑ましい限りだが、木登りや、カブトムシ取り、ザリガニ釣り、ビー玉やメンコやこま回し、そんなものが僕らの生活のすべてだった。そして僕らはついに野球を手に入れる。
戦前の生活ならいざ知らず、1970年代の東京(23区内)で小学校生活を送ったはずなのに、なんと貧しく、そしてなんと素晴らしいアジアの頃だったのだろう。

その頃、遊び仲間に運動おんちの木村君がいた。
木村君は逆上がりが出来ず、皆で鉄棒をする時はいつも一番低い鉄棒で「豚の丸焼き」をしていた。今考えると、かなり長い間鉄棒にしがみついている腕力があったのだから、ちゃんと練習をすれば当然逆上がりなど出来たような気がするが、彼は鉄棒にしがみついたままいつも空を、雲を眺めていた。面白い形の雲を探し、見つけると「発見!」と叫んでは僕らに報告した。それは動物や食べ物の形だったり、UFOだったり、ニヤニヤしてしまうおっぱいだったりした。そんな彼の想像力は、僕らの遊びの中の「武器」の一つだった。
アクロバットに飽きると、僕は木村君のまねをして豚になって空を眺めた。南の島で生贄になって丸焼きにされる時、人間は雲を眺めるのかなぁと、ぼんやり考えていた。

高校時代、開高健の「オーパ!」を読んだ。
ブラジルの奥地では、一族が集まる結婚式の時、牛を一頭丸焼きにするそうだ。むちゃくちゃな話だが、丸焼き用の串しには電信柱を一本ちょん切ってきて使うという。

平成になって間もない頃、大学の卒業旅行にアマゾン川を下った。
大アマゾンの河口から1700km上流に、マナウスという100万都市がある。アマゾン流域の交易の中心地であり、ホンダ、ソニーからフィリップス・シーメンス・ハーレーダビッドソンまで外資系工場がひしめく、ブラジルの経済特区だ。

リオデジャネイロから、マナウスに向かう飛行機は燃えていた。満席の機内で、マナウスのサッカーチームのサポーター達が吼えまくる。全国大会で、強豪リオをアウェーで破った帰りらしい。乗務員の再三の注意もどこ吹く風で、肩を組んで応援歌の大合唱。怪しげな酒が瓶で廻って来る。そういう状況が大得意な僕は言葉もわからないまま巻き込まれ、気がつけば通路の先頭で三三七拍子やらインチキ空手の演舞の怪しい日本人に変身。まったく、僕はどこまでお調子者なんだろう。自分にあきれながら、そんな自分を楽しんでいる。うれしそうに肩を組むオッサン、何しゃべってるかわからないけど、あんた酒臭いぞ。
無事着陸をやんやの大喝采で喜んだマナウス空港で、ご丁寧に2人の職員にお出迎え頂いた。何故僕も? サポーターのリーダー達と共に招かれたオフィスで、空気が一変する。その職員は警官だったのだ。さらに信じられないことに、突然暴れ出したサポーターおやじが連行されるのを呆然と見送った後、僕は夜のマナウス空港から1人、見知らぬ異国の町へと放り出された。
何とかたどり着いた安宿。そして奇跡のような充電。一人旅は素晴らしい。
あきれるほどお天気な午前10時、僕は対岸が見えないスケールの大河・アマゾンの川岸にいた。それはどんなに幸せな気持ちだっただろうか。そこはビーチと呼ばれ、子供も大人も水遊びに興じる。ピラニアという単語が脳裏をかすめるが、誰も気にしない、気にしない。ビーチの駄菓子屋で、コーラ2本で子供たちと半日暇をつぶしていた僕は、あのサポーターおやじと驚きの再会を果たした。ちょっと懐かしくて汗臭いハグのあとからは、とんとん拍子に物語は進んだ。オーケイ、人生はこうでなくちゃ。ビーチ横のマナウスの巨大市場でオヤジは働いていて、僕を市場中の知り合いに紹介したくれた。空気は南米、みんな笑顔。そしてついに渡し舟の船頭・フランチェスコが登場する。
翌朝、絵に描いたように能天気な19歳は、僕から150ドルを受け取ると5日間の船旅に出発した。日本の屋形船のような平べったい小さな渡し舟で、時にピラニアを釣り、夜はワニを捕まえ(美味かった!)、知り合いの家に宿泊しながら、フェリーに乗り継げる町までの珍道中は続いた。

360度、地平線と水平線の大地。月夜に外に出ると、大空のどこかに雲がかかり、稲光がきらめく。アマゾンを下ると、ところどころにぽつんと家が浮かんでいる。ボートハウスになっているよろず屋がアマゾン川のドライブイン。漁船や渡し舟がのんびりとやってくる。ガソリンを入れた後、おばちゃんの手料理を食べ、すのこのような床の隙間から水面が見える部屋に置かれたビリヤードでフランチェスコとギャンブル。奴のラストショットの掛け声は「チャオ!」。おばちゃんの娘は、子供のくせにタンクトップでビールを飲みながらゆっくりと僕にウィンクをした。
そんな旅の先々で、牛の丸焼きのことを聞いた。
いつもみな大笑いをするだけで、誰もまじめに取り合ってはくれなかった。

いつか、豚の丸焼きをしたいと思っていた。
初めて豚を焼いたのは、もう20年以上前だっただろうか。
学生の頃の僕達の主な遊び場が中華街だった。老舗のカウンターバーでアルバイトをしていた僕は、週に6日は中華街に来ていた。中華料理店の店先には、おいしそうにローストされた子豚がつるされていた。
豚の丸焼きをしてみたい、と友人だった山手の有名なガーデンレストランの女主人に相談をした。どういうわけだか学生時代、僕たちは彼女の広い屋敷で年に何回かパーティーをやらせてもらっていたのだった。図々しい僕たちをいつも温かい目で見てくれていた彼女は、「面白いわね、今度ぜひうちでやりましょう」とやさしく言ってくれた。
そうして、僕達の初めての豚の丸焼きパ−ティーは始まった。
同級生達は、元町プールでビキニちゃん達とビールをたらふく飲んだ後、ショートパンツに着替えた彼女達とのんびりと集まってきた。僕は、朝早くから広い庭の片隅にかまどを作って、ビールを飲みながらで汗だくで豚を焼いた。
暑く、そして幸せな夏だった。

息子が通っている小学校の4年生の学年の課題が、鶴見川の研究だった。それに付き合って、青葉台の自宅から鶴見川に沿って自転車で河口の東京湾まで走った。
自転車は素晴らしい。勤務医時代には、時々気合が入ると自転車通勤をした。
以前住んでいた東神奈川から戸塚の国立病院まで行くのに、途中の保土ヶ谷の権太坂は結構走り甲斐がある。戸塚駅を過ぎると最後が最大の難所・大坂だ。原宿の交差点につく頃には汗まみれで、当直室に忍び込んでシャワ−を浴びないととても外来には出られない。
総合新川橋病院に勤務していた時は、東神奈川から川崎までの国道15号。車が多く空気が悪いが、平坦な道なので走りやすい。
今、青葉台から長津田まではいい道、いい距離なのだが、アップダウンと年齢と運動不足と強情さが自分の中で格闘する。
鶴見川沿いのサイクリングロードはまさに夢のような道だ。常盤橋から谷本川沿いのロードに入り川沿いに進む。近所の小川がだんだん大河へと成長していく川面と、周囲の風景を眺めながら走るのは本当に楽しい。
市ヶ尾高校を過ぎて少し行った川沿いの左側に、養豚場を見つけた。当然、ぶらり途中下車の旅であるから、自転車を降り、中をのぞいてみる。
檻の中にはぶーぶーとやかましい豚の群れ。ピンクに丸々と太った豚の群れは、宮崎アニメ「せんと千尋の神隠し」のワンシーンの様だ。もちろん農家のイメージ満載だが、豚だけを見ていると、とても清潔な印象で、動物本来の猛々しさは微塵も感じられない。まさに食品工場の材料といったところか。

食育という言葉はずいぶん最近になって知った。
世の中の成り立ちの中で、「食」はあまりにプリミティブなので逆に遠い存在になっていたのだろうか。命を屠る、という当たり前の行為の裏側が、この文明社会の中で上手に覆い隠されて私たちに届かない。
豚の丸焼きという、これもべたにプリミティブな食べ物を通じて、子供たちに伝えられる事がたくさんある。食肉をスタートに、栄養学、生物学、解剖学、同和問題、イスラムを含めた宗教、現代政治まで。
肉屋で子豚を一匹注文しても、最近はなかなか手に入らない。神奈川にはブランド豚として高座豚があるが、口蹄疫以降保健所の手続きがやっかいとのことで買えなくなってしまった。少し高価になるが薩摩の黒豚や、アメリカからの輸入豚のほうが手に入りやすいという。昨今は、豚インフルエンザ騒動があったので、北米ルートも一般には難しくなった。

初夏の晴れた日に、朝から下ごしらえをして豚を焼く楽しさは言葉に代えがたい。そして焼きたての豚を肴に、友人や家族と飲むビールのうまさ。
神が与えた至福。そこまでの長い道のりを振り返ると、数多くの出会いがあった。
南米の大地、悠久の大河は今でも僕に語りかけている気がする。
「おいおい、豚で人生を語っちゃダメだろう」、と。

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