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blog ナゴブロ 院長ブログ

深夜鈍行 - 幻想のアジア・3

2014/01/23

アジアな旅の思い出話の最終回です。
写真をお見せしたかったのですが、現在捜索中です。実家も探したんですが行方不明(涙)。


サムイ島やクアラルンプール、シンガポールなどを旅して、スマトラ島に行こうと思って間違えてビンタン島に着いたりしながら、なんとかインドネシアのジャカルタに到着しました。元々の計画は飛行機を使わずにオーストラリアに行くというもの(貧乏旅行のためとはいえ…)で、インドネシアの国内をバスと船でティモール島まで進み、最後にフェリーでオーストラリアのダーウィンに行く予定でした。
しかし、ジャカルタのユースホステルで知り合ったオランダ人の旅行者からとんでもない話が飛び出しました。

「オーストラリアに行くつもりなら、バリ島のベノアのヨットハーバーに行ってみたら?そこは国際的なハーバーで、世界一周のヨットは必ず寄るところだ。何より、オージーの金持がヨットで自分のバリの別荘に来ているから、帰りの航海に乗せてもらえばいいんじゃないの?」
何とファンキーなプランでしょう。僕は一瞬でこの話に食いつき、途中ジョグジャカルタに寄り道しながらバリを目指します。クタのロスメンにたどり着いた僕は、早速レンタルバイクでベノアへ向かいました。

ヨットハーバーは小振りでリッチな雰囲気でした。江ノ島のハーバーをイメージしていた僕には、ちょっと敷居が高そうな場所。しかしここでひるんじゃいかん!と突撃です。マネージャーのおじさんをたずね、自己紹介もそこそこに「私は日本から来た旅行者で、オーストラリアに行くところです。実はここでヨットをヒッチハイクするとよいとジャカルタで教わってきました」とがっつきました。おじさんは黙り込みます。…一応ひげをそり、ポロシャツと長ズボン(ジーンズだが)で訪ねはしましたが、今考えると普通に怪しい若者で、中身はただのバックパッカー。若さというのは恐ろしい。めくらは蛇におじけません。
おじさんはゆっくり、「そういう人が時々くる。君に見せるものが2つある。ついておいで」と言いました。

まず連れていかれたのがクラブハウスのラウンジでした。そこの壁の一つがインフォメーションボードになっていました。「ごらん。」驚きの光景でした。そこにはたくさんの自己紹介文というか、売込み文というか、面白い手紙が鈴なりに貼られていました。
「シドニーまでのせてください。ウィリアム。イギリス人」「シンガポ-ルに行きたい。メアリー。オランダ人」といった手紙の中には、「アーリーバードのジム。料理と釣りは任せて。アメリカ西海岸のどこでもOK」とか、「ハワイまで乗せてね 160cm、50kg、ブロンドのキャシー。24歳」といった、「OK、僕が乗せてやる!」と言いたくなる手紙まで、たくさんのライバルがひしめいていました。
唖然としている僕に、「おいで」とおじさんは僕を呼びました。クラブハウスの裏がハーバーになっていて、そこには4艘のヨットが。…たった4艘?「今はシーズンが悪くてあまりヨットが来ていない。せっかく来てもらったがタイミングが悪かったようだね。あの船のオーナーには君をのせてくれるかどうか聞いといてあげるが。」
諭すようにおじさんは話します。しかし、やはり無謀な若者としては引き下がるはずもなく、紹介文を持ってくる約束をして宿へ帰宅しました。

その晩、ロスメンの中庭で書き上げた紹介状を同宿のオーストラリア人に添削してもらいました。元々の文章は「働き者の日本人です。料理が得意で自慢は日本料理。気に入られるかわからないけど頑張ります」といった内容でした。ところが…思い切り添削されました。曰く、「日本人の謙虚さは美しいが、これでは欧米人には勝てない。特に最後、「気に入られないかも」ではなくて、白人相手では「110%頑張る」と書かないと勝てないよ」とアドバイスしてくれました。
この「アイ・ウィル・ドゥ・マイ・ワンハンドレッド・アンド・テン・パーセント」というフレーズが私にはとても印象的で、今では就活に向かう若者にいつもこのセリフでアピールしろとアドバイスしています。

さて、本気を出して書き直した紹介状はこんな感じでした。
「僕は歌って踊れる25歳の日本人。あなたのヨットにオーストラリアまで乗せてください!
僕には3つの長所があります。①僕は日本の医大5年生。もしあなたが航海の途中で病気になっても僕が治療してあげましょう。②僕は大学のヨット部のレースメンバー。あなたが酔っぱらっている間、僕が操船を引き受けましょう。③僕のおじいさんは東京の寿司屋。あなたの好きな時にオーセンティック・ジャパニーズ・スシを作りましょう。
そして特別な④僕は東京でオーストラリアのビザを取得してあります(コピーを張り付けて)。入国に何の問題もなし!僕は110%頑張るよ!気に入ったら僕のロスメンに電話してください」
おお、なんて素晴らしい紹介状でしょう!(ちなみに嘘はありません。ちょっと話を盛っているだけ)。もし僕がヨットオーナーならぜひこの若者を乗船させるでしょう。

翌日、自信満々でクラブハウスを訪れた僕にマネージャーのおじさんは少し面接をして確認した後、「これはいいね!タカオ、行けるかもよ」なんて乗り気になってくれました。それから毎日クラブハウスを訪れるのですが、何しろ時期が悪い。ヨットが来ない。おじさんは気の毒がってくれて、現地の新聞やラジオを紹介してくれました。
外国で新聞やラジオに取材されるなんて、まるで有名人になったみたい、ちょっとわくわくの経験です。
出演したラジオでは反響があり、ヨットオーナーのオーストラリア人が連絡をくれました。訪ねた豪華別荘で会った60代?のジムさんは「ぜひ僕と船に乗ろう。だけどパースの自宅に帰るのはもう少し先なんだ。」「ありがとうございます!それで、いつ?」「クリスマスまでには帰る」「…」 実はこの時、5年生から6年生に上がる春休み。ここで半年以上過ごして留年するわけにはいかない!

2週間バリで待ち、結局壮大な計画は次回へと持ち越しになりました。旅の最後に空路でブリスベンへ飛び、バスで移動したケアンズで世界遺産の海に潜り、アジア-オセアニアの旅は終了しました。
ちなみに「ブリスベン・タイムスの日曜版の「何でも売ります」コーナーで馬を1頭買って、それに乗ってケアンズまでいけばいい。ケアンズで馬を売れば旅費はただで、上手く売れば儲かる」なんてことを勧めてくれたお調子者もいました。全くバックパッカーの世界は能天気です。

バリで滞在中に紹介され、こちらも毎日通うようになったビンギンという村があります。当時は限られたサーファーが行くサーフポイントでした。そこの村長の息子と親しくなり、ある日「うちの村が発展するために何かいい工夫はないかな」と相談され、一晩で考えたのが真珠の養殖でした。ミキモトの養殖真珠とタヒチの黒真珠を思い出したのです。「真珠がいい。単価の高い商売をやるべきだ。日本に帰って養殖真珠の情報を送るよ」という約束もまた、帰国後に冷や汗をかきながら没頭した国家試験の勉強のため果たせませんでした。(おかげで卒試、国試共に合格できました笑)

2000年のレオナルド・ディカプリオ主演のハリウッド映画、「ザ・ビーチ」という作品があります。主人公たちが伝説の楽園のビーチを探し、ついにたどり着いた場所は本物の楽園ではなかった、という話です。
若い頃、いつも何か特別なものを探していました。時が流れ、特別なものが見つかったかのか自分でもわかりません。ただ、宝探しの旅に出る夢はほとんど見なくなりました。
あれから23年。遠い約束は思い出の中に埋もれ、あの頃の無謀な若さも今はもうありません。
少し大人になった今、あの頃の自分に会ったら何と声をかけるのだろう。
きっとこんな感じかな。「大丈夫!もう少しだ。信じた道を行け」