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宮城県震災ボランティア日記・2

2011/5

宮城県ボランティア3日目

朝、宮城県庁にある東日本大震災災害保険医療支援室へ行く。
東北大学の教授がリーダーを務めているボランティア組織だ。何だか組織だらけで(言っちゃあ悪いが)煩わしい。ぜひ上手に支援と情報を交通整理して欲しい。4月中に宗前と共にこの組織にボランティア登録はしてあったが、聞いてみると実際の医療ボランティアの情報はなし。やはり僕は現場の仕事がしたかったので、後方支援業務に入る愛しい宗前君(笑)と別れ、約束していた河北の避難所を目指す。

3連休初日のため渋滞を心配したが、出発が遅かったせいか高速はほぼ渋滞なし。野宿に備え、石巻の巨大ショッピングモール(被災地のイメージではない)で寝袋の下に敷くマットを買う。それを抱えて歩いていて気がつく。お店の人々がやさしい。ボランティアに対する敬意か。レジでは優先してもらい、フードコートでは席を作ってもらい、セルフのはずの水のサービス。おもはゆい。自衛隊の皆さんほどの活躍が出来ればいいのだが。

10分遅刻で避難所で診療開始。反応は悪い。240人の大半が出払っている昼の時間帯。高齢者は沢山残っているのだが。体育館のフロアの個人スペースを回診する。結果は、続々受診。皆、声かけを待っているのだ。

診療の後、昨日の針岡地区のお宅に向かう。うちの息子と同い年だったお子さんにどうしてもお線香をあげたかった。備え花を持って伺うと、おばあちゃんが待っていてくれた。お線香を手向けた後、土間の食卓でお茶をいただく。明るい外にはビニールハウスが広がる里山の風景。悲劇が最も似合わない場所なのに。
大災害時にはどうしても人災的要因が付きまとうが、今回もその典型だった。そして間違った判断をした人も亡くなっている。ただ悔しい。

最後に顔を出した石巻のボラセンの協議会は、完璧に機能していた。教科書にしたい運営だ。願わくはこれをぜひ全被災地に、そして可能な限り長く。 夜のボラセンは結構カオスだった。高ぶる神経を休める方法は大体どこも変わらない。不思議な人達との愉快な交流の後、これも不思議な因縁で僕は一人、役所に泊りに来ている。
明日は泥出しをする予定。かっこ良く振舞ってばかりはいられない。たとえホテルに泣き帰ってマッサージの世話になろうとも。